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キッチンカウンターの照明②

明るさについてはすでに述べたので、次は高さ(長さ)の問題を。

注意すべきポイントが2つあると考えています。

1.キッチンに立たれる方の身長、ガラスシェードの大きさなどを考慮して高さを決定します。基本的に、「邪魔にならない程度に下げてやる」ということなのですが、別の言い方をするならば「あんまり上にあげてしまうと、せっかく吊るしたのに全く視界に入らなくなってつまらないですよ」ということです。
そんなに大きくないガラスシェードを使うのであれば床上1650ミリくらいまで下げてやっても良いと思いますし、大きめならば床上1750~1800ミリくらいにしておくと良いでしょう。
結果的によくお薦めしているのは床上1700ミリくらいが多いですね。

「頭に当たるのはイヤ」ということでかなり上に設置されるかたもおられます。たとえ1600ミリまで降ろしたとしても頭の真上にくることはまず考えられないので(もちろん図面で確認しておいて頂きたいとは思いますが)、その点はご安心いただきたいと思います。しかしそれでも気分的な問題はあります。いつも気にしながら使うことほど馬鹿げていることはありません。そんなときはすっきりと1800ミリあるいはそれ以上くらいまでにして使ってください。

2.次に気にしなければならないのは、カウンターの向こう側に設置されている照明のことです。カウンターにくっつける形でダイニングテーブルを設置されるケースをよく目にしますが、この場合などはとくに、テーブル上の照明とカウンターの照明の器具の設置位置(高さ)に注意しなくてはなりません。
たとえばテーブル上の照明がシーリングライトのような天井に近い位置であれば、キッチンカウンター上の照明の位置はなにも影響されることはありません。一方、テーブルの上にある程度下がってくるような照明器具をお選びの場合には、キッチンカウンターの器具の高さは意識して違えたほうが良いと思います。(どちらかというと、キッチンカウンター側の照明が上に行くほうが多いようです。)

キッチンカウンターの照明②_f0150177_1234321.jpg


ペンダントライトはコンコルディア照明で
# by concordia-light | 2008-08-22 08:00 | キッチンの照明

朧月夜(おぼろづきよ)

みなさん、この歌をご存知でしょうか。
私が大好きな歌のひとつです。

「菜の花畑に入日薄れ、見渡す山の端(やまのは)霞深し。
春風そよ吹く空を見れば、夕月かかりて匂い淡し。

里わの火影も森の色も、田中の小径をたどる人も
蛙(かわず)の鳴く音も鐘の音も、さながら霞めるおぼろ月夜。」

春の日の夕暮れどき、日が落ちて薄暗くなりかけた山あいの小道にたたずむあなたがそこにいて、上のような風景を眺めているのが想像できます。
どこかで体験したような風景です。

1番の歌詞でもたっぷりとそのときの「明るさ」は実感できますが、2番に入るとより一層「あかり」に関するイメージを膨らませてくれます。

この歌の「月」は、月光がたっぷりの満月ではない、と私は考えています。まだ少し頼りない三日月といったところで、月からの光はそんなでもありません。

そして1番の風景から小一時間も経ったでしょうか、空はまだほのかに青みを残していますが、それを切り取るように、影絵のような森のシルエットがあり、そのふもとにあるのが家のなかかからこぼれてくる灯りです。橙(だいだい)の色に近い黄色でしょうか。その色には、いますぐ駆け出して飛び込んで行きたいような吸引力があります。

朧月夜(おぼろづきよ)_f0150177_16181946.jpg


風呂でこの歌をうたいながら、この橙色を思い浮かべています。

今の生活のなかでは白っぽい蛍光灯やLEDの光が主流です。仕事の効率は上がるし、気分もシャキッとする、という意味では評価できる光かもしれませんが、それでも人は、いつかかならず、この橙色に帰ってくるような気がしています。

# by concordia-light | 2008-04-26 16:31 | 「美しさ」と「あかり」

ダクトレール

ダクトレール(別名:配線ダクトレール、レイティングレール、電源レール など)を設置すると、その線上であればどこからでも照明器具を垂らすことができます。キッチンカウンターの上などにもつけることは多いのですが、一番使用される頻度が高いので、ここダイニング照明の項でご案内いたします。

ダクトレールには大きく分けて2種類あります。

1.電気屋さんがつけてくれるもので、通常天井にぴったり張り付いて設置されます。最初に安易に部屋の中央に電源を用意してしまうと設置後にコードが見えてしまうこともありますので、かならず早めに工務店さん、大工さんにご相談いただき、適した位置に電源を用意したうえでレールを設置するようにしてください。
  天井面とレール面が同じになるように、レールそのものを天井に埋め込むようにして設置される場合もありますが、常に出来るわけではありませんから、これも工務店さんにご相談ください。
  長さは、たいていご希望の長さに切って設置してくれます。
   既存の照明器具をはずしてレールをつける場合は、電気屋さんにご相談のうえ設置をご検討ください。(あるいは、次の2の方法が良いかもしれません。)
ダクトレール_f0150177_17361983.jpg

2.こちらは「簡易型ダクトレール」と呼ばれるもので、電気屋さんでなくてもお客様ご自身で設置できるものです。天井に引掛けシーリングがついていれば簡単に設置することが可能です。いろんなメーカーで製作・販売されていますが、通常天井から5-6cm前後離れたところにレールが横たわることになります。長さも1mとか1.5mとか、いくつかの選択肢から選ぶことになります。

ダクトレールを使うメリットは、①とにかくそのラインの下ならば、好きな場所に移動が可能である、ということ。それから、②ダクトレールにはペンダントライトのほかにスポットライトを取り付けるなど、臨機応変に照明器具の数を増減できる、ということです。
それも今すぐに決めなくても、様子を見ながら増やしていくことも可能になるわけです。

逆にデメリットは、見栄えがそんなに良くはない、ということに尽きるでしょう。どうしても天井にすっきり感がなくなります。まあ、そこは機能性と見栄えとの両立は難しい、ということで、あきらめざるを得ません。

先ほどもチラッと申し上げたとおり、新築のケース以外では、簡易型ダクトレールになるケースが多くなりますが、それでも電源が一個なので複数のペンダントライトはつけられないな、と諦めていた人などには検討の余地あり、ではないでしょうか。

ダクトレール_f0150177_15495257.jpg



# by concordia-light | 2008-04-19 15:52 | ダイニングの照明

キッチンのLED照明・蛍光灯照明

近頃は広いスペースを備えた快適なキッチンも目にするようになりましたが、残念ながらおおむねキッチンというと、それも独立型のキッチン(ダイニングとの完全な一体型ではなく、という意味)ということになると、調理の際に熱がこもって奥様がたはけっこう苦労されるのが普通です。

そんなことから、キッチンの基本照明はできればLEDとか蛍光灯が良いのではないか、とコンコルディ屋主人は考えています。

対面式カウンターをもつ場合、ダイニングやリビング側からキッチンの天井が丸見えになることが多く、キッチンの照明にも気をつかいたい、キッチンの天井に蛍光灯が見えているのは好きじゃない、というご意見・ご希望も数多く頂きます。

たとえばキッチンカウンターの上にペンダント照明がいくつか下がってきたりしていると、その奥の天井照明にはほとんど眼が行かないものですので、たとえば直管型のLED器具や蛍光灯の器具をつけても問題はないと思います。けれども、より美しい方法として、LEDのダウンライトを使ってみるというのはいかがでしょうか。

ひとつ注意点があります。それは、LEDの色の種類のうち、かならず「電球色」のものをお選びいただきたい、ということです。でないと、キッチンの奥にはいつも白っぽい光があふれ、キッチンカウンターやダイニングでせっかく白熱灯(または電球色のLED照明など)の暖かい光をつかっていても、すべてが台無しになることがあります。

キッチンのLED照明・蛍光灯照明_f0150177_15362963.jpg


最後にご忠告!!

コンコルディ屋主人の経験では、アメリカやオーストラリアの主婦は一般的にあまりキッチンを使うのが好きではありません(ヨーロッパではわかりません)。いつもピカピカで、すてきなキッチンが好きな人が多く、はっきり言ってあまり料理はしていません。電子レンジと皿洗い機があれば十分、というお家が多いです。そんなお家では、キッチンにすてきな照明を持ってきても汚れる心配はなく、また熱がこもってつらい思いをすることもありません。

欧米の雑誌に綺麗な照明を使ったキッチンが紹介されているときには、ちらっとそんなことを思い出していただければと思います。(もちろん、すべてに当てはまるわけではありませんよ。念のため。)
# by concordia-light | 2008-04-19 15:42 | キッチンの照明

照明のあゆみ(7)

電気照明の前に

本当ならばここでエジソン、電球、電気照明、と進みたいところですが、コンコルディ屋主人としてはもう一つだけその前に注目したい照明があります。それは「石油ランプ」です。

アルガン式ランプは植物油から始まって、獣脂、鯨油など動物脂までいろいろと燃料を変えて使用されていましたが、1860年ころからそれが石油をもととする石油ランプにかわっていきました。基本は同じのまま燃料油が変わっただけなので、ガラスシリンダーの掃除、芯の切断や入れ替え、燃料の補給など、毎日の面倒なケアに関して何も変わることはありませんでした。芯もなくいつもクリーンで明るい焔をともすガス灯と比べるとその煩雑さは比べようもなかったのです。

ところが、なんと19世紀の後半、石油ランプは居間照明の最たるものとなりました。どう考えてもガス灯のほうに分があると思えるのにどうしてなのだろうか。アルガン式ランプの光もすでにかなり明るく、ガス灯が飛びぬけて明るかったために敬遠されたというわけでもなさそうです。

では、この理由を探していきましょう。

1.まずはこれまでにも述べたとおりガス灯にはどうしても空気の汚れが大きく、気分が悪くなる確率が大きかったりあるいは換気にひどく気を遣うため、どうしても敬遠されたのでは、ということです。

2.つぎに「産業用照明」としてレッテルを貼られたガス灯に強烈な拒否反応があったのだろう、それが潜在意識、あるいは市民の常識としてあったのだろうということです。

3.あるいは、明るさではないもうひとつの違い、すなわち燃焼が進むと燃料が目に見えて少なくなっていく従来の灯りに比べて、ガス灯はそれが全く感じられない、ということでしょうか。生き物ではないのだけれど、まるで愛しい生き物のように手入れをしたり燃料の補給をしてやること、その燃料が時間の経過とともに少なく小さくなっていくことにある種の共感を覚える、ということなのでしょうか。

照明のあゆみ(7)_f0150177_1817545.jpg


そうして考えていくうちに、コンコルディ屋主人にははっと気づかされることがありました。

18世紀末まで、人々は薪やその他の有機燃料による赤みを帯びた光に、自然で正常な明るさを感じていたはずです(現代人の私たちでさえそのことが正しいということを無意識のうちに知っています)。工場であろうと、サロンであろうと、ヴェルサイユ宮殿の鏡の間であろうとそれは変わりありませんでした。

焔を直接目で見て自分と向き合うこともできたし、その揺らめきから何かを感じることも出来ました。

ところがアルガン式ランプの登場とともに、灯りの焔は大きく変わりました。詩情豊かで趣さえあった焔の姿は消え、変わってぎらぎらする発光部が出現したわけです。発光部を直視してももはや何の喜びも得られないばかりか、直視することも不可能になりました。

その過程において、焔から何かを感じることの出来る、また心ゆたかな何かを与えてくれる照明は姿を消したのです。
この過渡期こそ、コンコルディ屋主人は「照明の歴史」にとっての「照明の誕生」に次ぐ2番目の大事件ではなかったかと考えます。
そしてこの時期以降、照明は単に明かりをとるためだけの「道具」になったのです。

ベストではないけれど次にセカンドベストとして人々が家庭の灯りとして許容したのがガス灯ではなくアルガン式ランプだったというのは、そう考えると実に自然な流れだったかとも思えます。上に述べたことのほかに、すこしでも以前の焔から感じた「何か」を大切にしようと、当時の人々は思ったのでしょう。

国や地域によってその切り替え時期はさまざまで幅もありますが、19世紀に入ってから人々は徐々に灯りの持つ本来の暖かさやなごみを日常の生活から消し去っていきました。

付け加えるならば、日本でその切り替えが起こったのは19世紀の最後のほうです。ガス灯もアルガン式ランプもほとんど普及しないまま、いきなり電気照明への変化だったのですが。

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# by concordia-light | 2008-03-01 18:18 | 照明と灯かりの歩み